雑音日和

教祖になるのが夢です。

指が口ほどにものを言う

 人ってどこで会話しているんだろう。口で言葉を発してそれを聞く。無駄なところをすべて省いて会話について説明したが、おおよそこんなものだろうか。

 

 言葉って、それはそれでとても大切なものだけれど、どうも私は、コミュニケーションという点で考えると、そのごくほんの一部でしかないのではないかなと、ずっと感覚的に思うところがある。

 

 言葉が通じなかったり、言葉を発しなかったりする場合でも、人の気持ちはうっすらと、しかし十分に伝わることがある。そもそも人以外のほとんどの動物は言葉を持たないが、社会を作って暮らしている動物ならいくらでもいる。

 

 さらには言葉を意味を持たない飾り物として使うこともあるし、嘘は言葉から生まれる。それなら最も素朴な、原始のコミュニケーションは何でできているのだろう。「コミュニケーション」の真の正体は何になるのだろう。

 

 言葉がないのに、形のない「何か」で強く語りかけられる。そういうときってこれ以上ないくらい感動するのではないかな。

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 結局、語っている何かの正体は見えないけれど、指の声が聞こえる時がたまにある。

 

 電車の中でぼーっとしている夕方、ふと視界に入った、つり革をつかむ誰かの美しい指。細くて長い指には生命の神秘のようなものを感じるとは思わないだろうか。

 

 手の指ひとつの語るものって、そんなに奥深いものだったか。指のもつ不思議な力に魅入られて、帰りゆく人らの指を眺める。老若男女。ほんとうに、めいめいがオリジナルな指の形を持っている。

 

 繊細で、上品なオーラの漂う指。力強くていいかにも頼もしそうな指。誠実な指。経験ゆたかなやさしい指。

 

 私には指の言葉を翻訳できないけれど、人の数ある一日を、語ってくれる指がある。

 

 この、人相を豊かに映しだす指を産むものは何だろう。スマホをくれば占いのような話が出てくる。

 

 占いのメカニズムはよく分からないが、指の形にしろ誕生日にしろ占いに使われるような要素は、やっぱり人格とどこかで関係しているような気がしてならない。

 

 偶然か、それとも何かの仕掛けがあるのか。人類の知りうる領域というのはどうも狭窄であるようで。