雑音日和

教祖になるのが夢です。

ボタンを押すことの意味

 「5億年ボタン」をご存知だろうか。一種の思考実験であり、どうやら初出は漫画『みんなのトニオちゃん』らしい。

 

 このボタンを押した場合、何もない空間で5億年過ごすことになる。そしてその対価として、100万円がもらえるらしい。なお、5億年過ごした後はその間の記憶を消去され、すべてがボタンを押す前の状況に戻っている。

 

 なお、ここでは5億年ボタンを押すべきか否かについては言及しない。ここで問題にしたいのは、そもそも5億年ボタンが本当に「ボタン」である必要があるのか、ということである。

 

 とにかく、ボタン以外で代替できそうなものを、一つ一つ試してみるとしよう。

 

 

五億年レバー

 ボタン以外でスイッチのON/OFFを操作できそうなものとして、まずこれを思いついた。運転席にあるシフトレバーのような形状で、手前に引くことでスーパー五億年タイムが開始となる。

 

 ボタンポチッよりもグイって引く方がちょっとカッコよくない?それだけで幾分か味が出てきそうな感じがあるが、これには致命的な欠点が残されていた。このレバーというものには、必然的に「可逆性」が存在する。五億年の空白を過ごす覚悟でレバーを手前に引いたものの、暇を持て余してついにたまりかねてしまったら……。そんなときにも手前に引かれたままのレバーが目の前にあるのである。これを元に戻さないという選択肢は、やがて虫の息になり消えていくだろう。

 

 せっかく五億年の覚悟を決めた意味はなんなのだろうとがっかりしてしまう。あるいは、ちょっとレバーを引いてみて、無理そうだったら引き返すことも可能だろう。以上の理由で、レバーよりはボタンの方がよさそうだ。

 

五億年導火線

 レバーにおいて可逆性が問題となるのであれば、導火線なんてどうだろう。この「五億年導火線」に火をつけると、少しづつ縄が燃焼され、先端にたどり着いたとき五億年カウントがはじまる。少々面倒かもしれないが、これで五億年ボタンがボタンである必要性はなくなるかもしれない。

 

 ……いやだめだ。その、「少々面倒」というところがダメなのだ。五億年ボタンは二択問題だ。「(実際にどちらの方にメリットを感じるかは人にもよるが)五億年何もないところで過ごすか、それとも百万円をあきらめるかの二択であれば、きっと多くの人は迷ってくれるであろう。」という考えでこの選択肢は作られている。ところがその片方に余計な手間を加えてしまったとすると、ごくわずかかもしれないが均等値だった天秤が傾いてしまう。こういう時の蛇足は一番やってはいけない。

 

五億年タッチパネル

 そもそもボタンを使うことに、すでに時代遅れの感がある……。そう思う人は私だけではないはず。今や町なかから、あの陥没する物理的なボタンはどんどん姿を消している。iphoneのホームボタンも、そういう感触がするだけで実際に陥没するものではなくなった。

 

 ならばタブレットのタッチパネルに「500000000年過ごす!」と書いたアイコンを映し出し、それをタップしてゲーム開始にした方が、現代的だろう。

 

 いいかもしれないが、材質が変わっただけで実際ボタンとあまり変わらない。というか呼ぶ人はタッチパネルになったとしても「ボタン」と呼び続けることだろう。もっと画期的な発明ができるまで待ちたい。

 

 

五億年脳波センサー

 いっそのこと、時代を先取りして、五億年過ごす!という決断を脳が行った瞬間に、センサーが作動するという仕組みにしてみてはどうだろうか。思うだけでいい。そう。思うだけでいいのである。

 

 ……思うだけでセンサーが作動。そのまますぐに五億年の物語が始まる。

 

 あまりに感覚的過ぎる。五億年の重みを、思うだけとかそういうことで簡単に受けるべきではない。やはり「ボタンを押す」というような具体的な行動によって強い決意は確認されるべきだ。

 

Ctrl+Alt+Delete

 そうであるならば、複合コマンドによって強い意志を確認しよう。同時押しならば間違ってスイッチが作動する可能性は低く、自らの意志によらない限り絶対にゲームは始まらないと思う。

 

 …のだが、逆に同時押ししてもスイッチが作動しなかった場合どうだろうか。同時押しということに限っては、押したうちのどれかのキーが反応せずに、押したつもりなのになにもおこらなかった……ということが大いにあり得る。

 

 五億年の覚悟をして、この3つのキーを同時に押す。このとき、誰であっても多少の迷いを胸に秘めており、その本能的な制止を意志の力で振り切りながらキーに指を重ねていると思う。手が震えていたり、冷たい汗を流していたりするかもしれない。その決定的一瞬を乗り越えた時に何も起こらなかったとしたら……。残った恐怖感、精神的な負担は計り知れない。そこで押すことを「やっぱりやめる」という人もいるかもしれない。ボタンひとつで一気に決まってしまったほうがいい。

 

 

五億年注射

 機械系はひととおり試したので、ここからは薬品系である。まずこれは間違いなくダメだ。チクっとするのは大抵の大人なら屁にも思わないとしても、どう見ても絵面が悪い。ただでさえ怪しい案件なのに、それで体内に直接薬品を投与する様は、まぎれもなくシャブを連想させる。却下。

 

五億年ドリンク

 注射のイメージが悪い?ならばポップな感じでジュース的な飲料にしよう。ホラ君もグイって飲み干すだけでこの時間の謎をめぐる実験に参加できるぞ!!

 

 これの厄介な点はあまりに手軽すぎることにある。すなわち、「全部飲み干さずに中途半端な量を摂取したらどうなるか」という疑問が生まれ、そしてそれをやってみることができてしまうのである。

 

 その結果考えられることは何か。何もない部屋で過ごす時間を、五億年以内ならば好きに設定することができるのである。五億年は無理だけど三億年なら…。五千年なら、三百年なら。そう思うのならば、全部飲み干さずに適量でやめればいい。

 

 いかがだろうか、五億年が無理でも自分ができそうなところで止めることができるのである。こうすれば被験者にとっては都合がいいだろうし、より気軽な気持ちで始められるはずだ。

 

 だがここに問題がある。この思考実験で大切なことは、五億年か、百万円か、という究極の二択で選ばせることにある。それをおのおのができそうな中途半端な期間でいいよ!というふうにしたら……。極端な選択肢という醍醐味が台無しになる。今まで見てきたなかでも、ここまでセンスのないボタンの代替策はないのである。

 

オクオクの実

 それならばと、『ONEPIECE』の悪魔の実の設定をもってきた。悪魔の実は一口かじるだけで十分な能力を得ることができるが、そのあとはただのまずい果実になるらしい。この設定を流用して、一口かじれば五億年。そのあとは何でもない果実、ということにすれば良いではないか。

 

 だがこの後、また面倒くさいことを考えなければならない。すなわち五億年のスイッチが作動するタイミングはいつになるのか。果実に歯が触れたときか、十分に嚙み砕いたときか、飲み込んだときか、胃袋に届いたときか、消化され始めたときか……。

 

 それならもうボタンでいいじゃない。作動するタイミングが明らかなんだし。

 

 

 

 他にも思いつく人はもっといろいろなものを思いつくと思うが、ボタンにはボタンである理由がある。ボタンでなければならない理由がある。だからこそボタンでなければならないのです。

 

 

 個人的には、五億年の対価としては百万円は少なすぎると思う。もっと多くてもいい。五億年の対価なんだから五億円くらいで。いやもっと多くてもいい。そう思う私はボタンを押さないのが良いということになるのだろうが。