投稿の頻度が少し開いてしまったのは、先週末はグラナダから少し遠出して、マラガへ海水浴をしに行っていたことによる。
私自身海は大好きだが、いつも散歩しながら写真を撮っているだけで、海水浴は滅多にしない。なので、ここに来てまた、水さえあればどこでもできるような楽しみ方を思い出した。
海水浴はともかくとして、個人的には波を見ながら日光浴をするのがとても気持ちよかったので、日本に帰ったら定期的にやろうと思う。
ところで、今はもう平気だと思うけれども、実際のところ、はじめの頃私は、軽いホームシックになっていたように思う。
ただ、日中は、常にやることややりたいことがあって、また誰かとすぐに顔を合わせることができたので、気持ちを誤魔化せていた。
しかし夜になってベッドに倒れ込むと、いつも日本の夢を見た。親しかった人たちの思い出とかが、脳の奥底で再生される。目覚めた後も、それが強く頭に残っている。
結局私は、日本のことは好きなのだ。こちらに来て自分たちの国についての話題になると、日本文化とかの面白いあれこれを、流暢に語りたくなる衝動が押し寄せる。
日本が好きな仲間も結構いて、「いや、それ流行ったの絶対ひと昔以上前だろ」、って言いたくなるような、私のよく知らない硬派アニメとかゲームの話を持ち出してくる人もいる。
特に移住願望とかもないし、今のところ、永住するならやっぱり日本かなー、という気持ちは特に変わっていない。
それで、どうして日本が好きなのか考えてみる。ところが、いいところはたくさん思い浮かぶけれど、決定的な理由は見つからない。
それどころか、いいところと同じかそれ以上に悪いところがたくさん出てくる。ワーカホリック、ものがはっきりと言えない、非合理的なまでの目上尊重……。
考えたところで、日本がいいと思う決定的な理由はわからない。もしこっちで生まれ育っていれば「スペインが一番いい」とか言うのだろう。私だったら。
それでも、(一ヶ月いたくらいでこのようにいうのは浅はかだが)、少なくとも今のところは、日本にいた時よりも楽に過ごせている。働いていないんだから当然か。
でも、場所を全く動かずに、ただ仕事をやめただけでは、そんな風に楽になれるとも思えない。スペインの文化が優れているか、或いは自分によくフィットしているのか。そう言うことはもう少しあとで答えを出すとして…。
ただ少なくとも言えるのは、日本から出たことで、いや正確に言えば自分の閉じこもっていた狭い狭い世界から少し足を伸ばしたことで、前より自由にものをとらえられるようになったこと。
(あれおかしいな…。以前別の文章で「引きこもりになる手段として」海外に行ってみるって言ったはずなのに……。)
今まで持っていた、当たり前で、「絶対にこうしなければいけない」という考え方の軛を外して、実際はもっといろいろな生き方とか、考え方があること。それを知ることで、より自由になれるのだと思う。
色々な国を旅して回っていたりとか、何ヶ国語も流暢に話せたりとか、今まで自分の周りにいなかったような人たちと知り合うことが、その鍵かもしれない。
ある日語学学校で「仕事」と「休み」という単語を使って一文を作る、と言う課題があった。何人かの学生は「仕事が大切だ」とか、「仕事のほうがいい」と答えた。
すると先生はこういうことを言う。「あら、仕事よりも休みの方が大事でしょう。休みを満喫するために、私たちは仕事をしているのよ。」
この台詞自体はどこにでもあるのかもしれない。日本でだって、多くの人がそう思っていると思う。
でも日本でそれを聞くと、(本当は望ましくないのだけれど…)という、“※”付き事項を勝手に読み取ってしまう。
「お前らそれでよくやっていけるな」と感じるくらいいい加減な国から来る人もいる。別に使われて困るわけではないけれど、人のものを当たり前のように勝手に使って自分のを買おうとしない奴とか。
日本人が寝もせずに長時間働くことは世界的にも結構有名な話らしい。彼らからすればそっちの方が「お前らそれでよくやっていけるな」なのだろう。働いている時は4時間しか寝なかったことを話すと、「いや、それ健康によくないよ」って。
違う国の人からそう言うふうに言ってもらうことで、日本のそう言うところは本当におかしいんだな、必ずしもこのやり方が正解じゃないんだな、と言うふうに確信することもできる。
まだまだ日本で寝る間を惜しんで働いた話をするとき、「えらい」とか「すごい」とか、尊敬の眼差しのようなものがあると思う。
文化が変われば変わってくるものと、絶対に変わらないもの。どこまで人は自由になれるのか。それを知るためにもっと多くの物語を聞きたい。ああ語学力とコミュ力…なんとかしないと。