ああまったく…どうしてこんなところにいるんだろう。
金曜の夜、ディスコテカ(クラブ)で半ば夢うつつ、目はつぶったままで踊りながらそんなことを考えていた。
左手のハイネケンは誰かが買ってくれたみたいだし、お金の心配はしなくてもいい。それなのに、「こんなんでいいのか」っていう、良心なのかナーバスなのか分からないモノに囚われている。
というか、ここまできて何するつもりだったんだ自分は?何がしたかったんだ?少なくとも朝まで踊るために来たわけじゃないはずだが…。
この旅に明確な目的はない。
8月15日は「聖母被昇天祭」ということで、スペインは祝日になっている。といっても学校が休みになっているだけで、どこか行くところがあるわけではない。
そもそもこの国では日曜と祝日は一部を除いてお店は軒並み閉まっているから、休みが一日あったからといって、できることはあまりない。
しかも夏の太陽は休まない。こちらに来て一ヶ月ほどになるが、一度も雨を経験していない。したがって猛暑の真昼間は、外に出たくない。
一部海水浴に行っている仲間もいるが、今日はゆっくり休ませてもらうことにした。
別に頑張れば行けなくもなかったかもしれない。ただ来てから思わぬ出費が続いている。
別に、周りは「長く滞在したいから、出費をできるだけ抑えたい」という私の意思を尊重してくれる人ばかりだが、些細なことで先の心配をする自分に時々呆れてしまう。
お金が予想以上に出ていくと、その分を何かで埋め合わせなければ、ということを考えずにはいられなくなる。この町にいられるのも、残り数ヶ月かもしれない(語学学校に三ヶ月通った後、どこで何をするか考えていない)、と考えて、何かしないと時間が勿体ない、と焦らされる。
心配で胸をいっぱいにするのはいつも未来のこと。それならいっそのこと全てをリセットして、束の間でいいから「今」という時間のみを享受したい。そんな望みをかけてここに来たのに……。
ヒトの見立ては究極的には当てにならない。例えば為替市場なんかは、予想外の方向に動くのが常だから、どう心配していいかもわからない。
だいたい、全てがあらかじめ分かっていて、全くその通りに事が進んでいくとしたら、身をもって確かめる意味はあるのか。ほぼない。あったとしても無味乾燥な印象しか受けないと思う。
わざわざ朝まで踊ってなくても良いじゃんかって思ってしまう人だけど、私の場合、そもそもこんなところでない限り、クラブなんか行かないだろう。
とはいえ、運命に身を任せるのはすごく勇気がいる。だから保険が欲しい。ヒトが当てにならないなら人智を超えた何かにすがるしかない。
そこで私にとって都合が良かったのは、ここグラナダにやってきた動機がはっきりと説明できないことである。
ただ偶然頭のなかをグラナダに占有される出来事が積み重なったので、直感が成り行きでこの場所を選んだだけだった。
それなら勝手にグラナダに呼ばれたということにして、そのいう通りにしていれば何かある、って考えて委ねよう。そうやって心を誤魔化している。
約束は守らないといけない、予想外の悪い事態を招くようなことは避けなければならない、という重圧。聞いた話によると、そのためかこの国では、予定をつくっては直前に人を誘うことも多いらしい。
忙しい人が多すぎて日本でやるのは絶対に無理そうだけれど。
この前、モロッコ人の友人に言われた「イン・シャー・アッラー(神の意志あれば)」という言葉がとても印象に残っている。その意味するところはもともと知っていたが、いい処方箋として貰うことになるとは思わなかったからだ。