雑音日和

教祖になるのが夢です。

「エモい」という言葉

 俗語を多用しすぎることは感覚を鈍化させ、人にもあまり良い印象を与えない。だから、意識していないとつい口に出してしまう「ヤバい」などという言葉を、できる限り使いたくないのだが、それがものすごく難しい。

 

 このような便利な言葉がいつの時代も生み出され、そして広く世の中に浸透していくことになる。だがそんな中で、日本人はついに最強の俗語を開発してしまったのである……。

 

 ここ最近3年くらいで、「エモい」という言葉がよく聞かれるようになった。郷愁のような哀愁のような、でもそれだけではないような、情緒性を感じさせるものにたいして使う言葉である。それはマジックアワーの空に伸びている赤になった信号機であり、初夏の2:00ごろの鎌倉の海岸沿いを走る江ノ電であり、金曜日の夜のスターバックスで一人朦朧とした意識の中で見るホットコーヒーの煙である。

 

 このようになんでもないときのふとした癒しを感じた時に出てくる言葉だったりするが、これを俗語を使わずしてどう使えばいいか、考えに窮する。わからな過ぎて、そのような感覚を覚えて誰かに伝えたくなったとき、結局、「なんというか、エモいですねぇ」と。自分で言ってて思う。これで、嘘や誇張ではなく自分が本当に感慨を覚えていることが伝わるのだろうか。……というような具合に、ほんの小さな心配をする。

 

 「エモい」ができる前は、いったいどう言っていたのかよくわからなくなるが、全く同じニュアンスの言葉がなかったようにも思える。一応wikipediaを引いてみる。

 

エモいは、英語の「emotional(エモーショナル)」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本のスラング(俗語)、および若者言葉である。

 

 …という具合で、一言で言い換えることができないようだ。それなのに多くの人々はこの言葉をどういうときに使うのかちゃんと知っているし、私の聞く限り言葉の意味を間違えて使っていそうな人はあまりいないと思う。(そもそも定義が曖昧ではあるのだが……。)

 

 さて、なんと言い換えるべきだろうか………。しみじみする。情緒がある。あはれなり。いくつか挙げてみるのだが、これらの方が逆に違和感を感じてしまう。(私の語彙力がないだけだというご指摘は認めよう。)日常の何気ない喜びを表す言葉はもっとキャッチーであるほうがいいに決まっている。

 

 いっそのこと「emotionalだ」とでも言ってしまおうか。いやはや、そんな英語を入れるくらいなら「エモい」でいいだろう。ふと思い立って、“emotional”を辞書で調べてみる。『ジーニアス英和大辞典』によると、

 

心を動かす,感動的な(emotive)

 

 とのこと。それとは「エモい」の意味は少し違う気もするし、人によっては毎日見ているであろうコンクリートジャングルの夕焼けに、いちいちそんな感動的だと言っていられるか。「ヤバい」はその汎用性の高さゆえに感覚を鈍麻させるが、似たような感じで「感動的」を多用すると、自分にとって特別な意味をもつ映画も特別でなくなってしまう。

 

 その流れで「あはれなり」も調べてみるが、ひとことで現代語に訳せていない。そもそも国語で枕草子を習ったときに、一瞬で「あはれ」についてしっくりくるような説明が聞けるだろうか。わたしは、説明を聞いて、少し頭をひねった記憶があるのだが……。

 

 ここまでくると、やはり「エモい」は「エモい」のままで使った方がよさそうだ。幸い、公式な場面で使うことはないだろう。素直にこの言葉を最初に考えた人のことを尊敬した。