雑音日和

教祖になるのが夢です。

潮騒と月明りと。

 突然だが、私にはここ数年、夏が盛りになったころに行う“年中行事”がある。

 

 しみじみとした夏らしい曲を聴きながら、熱帯夜の世界を散歩するのだ。あの熱帯夜特有の、生ぬるいけれど攻撃的ではない熱気のこもる海辺で、郷愁に浸るのを毎夏楽しみにしている。

 

 ところで、この物語は有名なので多くの人が知っているだろう。すなわちイソップ寓話の『北風と太陽』は。

 

 北風と太陽が、旅人の衣を脱がそうとして競っている。北風は強く吹きつけることで、旅人の衣を吹き飛ばすことを考える。だが、風が強くなればなるほどに旅人は寒さを感じて、今着ている衣の上からさらにもう一枚着ることになる。強引な手段にうったえた北風の作戦は、かえって逆効果となって終わった。

 

 一方太陽は、旅人の体を自らの熱気でもって少しずつ温めていった。旅人の体温が上がるにつれて、彼は服を脱がずにはいられなくなる……。結果、旅人は素っ裸になってしまったという。

 

 結局、この争いは太陽の勝利に終わったけれど、私は、もしもそこに「海」と「夜」が参戦していたら、彼は勝つことができただろうか、と考える。思うに、この二人は、人の心までも裸にしてしまうからだ。

 

 海は、よく母なるもののイメージを当てはめられる。そして、人は海を前にすると、不思議と心の憂いはやわらげられ、解放されている感覚を味わう。

 

 夕暮れどきに海辺に佇んでいる人々を見ていると心がほっこりしてくるのだ。皆が皆、海にすべてを預けてのびのびとしているから。名前も、どこから来たのかも、今日何があったのかも知らない人間の、心を許している様を見ているような気持ちになる。

 

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 夜には、すべてを受け入れてくれる包容力がある。人の世界からあぶれた者たちが夜の闇の中に集まるのも、暗闇が自省をうながすのもきっとそのせいだろう。

 

 「やさしい光」とはどこかで聞くフレーズだけれども、本当にやさしいのはきっと光ではない。すべてを吸収して受け止めてくれる闇こそが、真に優しさをもっているように思える。

 

 夜を象徴するものとして、よく月があげられる。思うに、海と同じく月もまた母性の要素を持つように思う。

 

 考えれば太陽が男性的であるのに対し、月は女性的であるとする対比はよく見られる。太陽神アポロン男神だが、月神アルテミスは女神である。スペイン語では太陽は“el Sol”で男性形、月は“la Luna”で女性形になる。また陰陽思想でも「男」と「太陽」はともに陽の気に属し、「女」と「月」はともに陰の気に属する。

 

 海と夜闇と熱気の中を、短い風が吹き抜けた。薫風。この瞬間だけは、風すらもきっと旅人の心を裸にしている。