雑音日和

教祖になるのが夢です。

迫られる年末

 断捨離できない人間の年末は憂鬱である。さすがに12月31日にもなって大掃除の人はいないと思うが、どこへ行っても「大掃除をしなければ」の波が押し寄せてきて、やらなければ次くる年にどんな災難が訪れるかわからない気持ちにさせる。そんな強制力がある。

 

 部屋が散らかっているか散らかっていないかで言ったら、私は当然前者だろう。足の踏み場もない、生活するスペースもない……レベルの、部屋をダメにしてしまうほどではない。しかし、とにかくモノを置けるスペースを見つけては何か置くので、それはそのままくすんだ部屋の景色の一部になって、省みられなくなっていく。

 

 そうやって時間に置き去りにされたモノたちと再び目が合ったとき、彼らの責め句が聞こえてくる。

 

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 そう、片付けや掃除をするというのは、ただ単にモノを捨てるか残すか、そんな単純な話ではないのだ。

 

 目を瞑っていた自分の過去と向き合う気概がためされる。そしてこれからどこへ向かっていくべきか、選択を迫られる。これだから、年末の大掃除は、重い。

 

 机のわきに目をやれば、続きを読む気で平積みされた本。本棚に戻したいけれど、入居者はすでに満員になりかけている。そのうえウォールナット材のマンションにも、孤独死しかけている住人がいる。

 

 クローゼットには、学生時代から買い溜めてきた衣類の数々……。定期的に「着る服がないな」と感じたりするが、それは半分正解で、半分は間違え。とりあえず裸で街を歩いたりしなくて済むであろうが、趣向もある程度かたまった今、それらを身に着けることは、違和感を連れて歩くことを意味する。

 

 もう着ることはないのだから、売るなりリサイクルに出すなり捨てるなりしようとは思うのだが、仕分けたりもっていったりする手間が大変なのだ。いつか持っていこうと言っている間に、趣向にあった服がやってくるので、頻度が高くはないものの、結局は足し算しかしていない。

 

 キーボードを打っている半径数メートルには、忘れ去られた歴史の断片が埋もれている。死ねない理由も多分そこにある。たとえば遺品整理なんかされたりして、もし万が一吐き溜めやら黒歴史やらが再び日の目を見たとするなら、私は安心してこの世から消えてゆける自信がない。

 

 「決断」というときに、断ち切るという意味の文字を書く。清々しい新年を迎えるためには、掃除片付けにいちいちくよくよしてはいられない。と、なんとか自身を鼓舞するなどしてみる。