雑音日和

教祖になるのが夢です。

 寝る前にはお香を炊く時間を作っている。一日を浄化するのである。歳を重ねるにつれて世界の流れが速くなっていることには誰もが気付いているはずだが、満足感の方はそれに追いつかないものである。

 

 たとえ今日生きた未練が泥のようにまとわりついていても、疲れているなら眠ることはできる。それでも、この日に満足するまではこの日を終わらせてはいけない。そう漠然と考えているのだ。きっと意地でもある。

 

 別に、格段いいお香を使っているわけでもない。いまのところプライドもない。チャイハネで20本入り二百円のお香を買って、薄暗い部屋で一人寂しく愉しんでいる。たまに、はじめっからシケっていたりするのだが。

 

 火をつける。明かりは読書灯だけにし、机の中央に香炉を置く。細く立ち上る白煙。

 

 魔力のような。消えた煙は守りのベールに化けている。

 

 なにかと煩いごとの多い世の中だが、「絶対的安全圏」はこうやって作れる。

 

 そういうわけなので、お香はいいぞ、という話をする。

 

 お香の香りというのは基本的にどれを炊いても安らぎをもたらすものである。中にはスパイシーな香りも存在するが、その気を持つ香りすら、お香にすると優しくなってしまう。

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 なかでも私が最も気に入っているのが、ジャスミンだ。高貴な美しさの中に、仄かな黄金色を連想させる優しさがある。気高いけれども慈悲深いのだ。

 

 そんな香りの完璧さと高貴さの所以か、ジャスミンを炊くのを逆に勿体ぶってしまう。コストがかかるわけでもない。それでも、温存しながら使っていることが自分にとっての“思い込みの”価値を上げているのかもしれない。

 

 あるいは誰にでもおすすめできるのは、ラベンダーだと思う。ラベンダーは絶対的な包容力を持つ。アロマの中でも最高級の地位を確立しているようだ。

 

 ラベンダーは紫色のミストだ。浴び続けていれば、そのまま昏倒してしまいそうな気すらする。眠りへと落とされる魔力。

 

 高校時代の合宿で、ラベンダー畑を走っていたときの情景がなぜか思い出される。左右を見渡せば淡い紫の群れ。花に詳しくない私でも、ラベンダーだとすぐに分かる。漂ってくる眠りの鱗粉。

 

 運動中に場違い甚だしいのだが、どこまでも柔らかいベッドがあって、そこに大の字になって寝ていたくなる心地がした。

 

 白檀、あるいはサンダルウッドともいうが、それもまた良いだろう。ジャスミンやラベンダーにはそれぞれ特有の艶めかしさがあるが、こちらはどちらかといえば、しっとりとしている香りである。お寺によくある類な気がする。

 

 最近はムスクも気に入っている。強烈ではないが、その香りは深くて濃い。

 

 しかしお香は難しい。時にそれは、煙の臭いしか感じられないときもある。定期的なメンテナンスを忘れて薬のように浴びていると、香炉の内部におどろおどろしくタールが溜まっていく。人によっては、やにくさいと言って忌避する場合もあるだろう。

 

 それでも、私はお香の煙で自分だけの時間をつくる。社会は画一化されていても、個人の安らぎくらいは、十人十色でいいはずだ。