雑音日和

教祖になるのが夢です。

餃子を蹴った。

 このタイトルには特殊なひねりはない。文字通り餃子を蹴った。

 

 人も歩けば道端には変わったものが落ちている。少し前、さほど長くない期間でウラになったポケモンカードが落ちていたのには、なにか摩訶不思議な意味があるのではないかと勘繰ってしまった。(ちなみにその中の一つは「そらをとぶピカチュウ」で、有識者いわく「拾って売っていたら金になった」とのこと。)

 

 このように日常のちょっとしたミステリとして、なんの意図があるのかよくわからないものが転がっている場面に遭遇したりする。

 

 とある日はそれが餃子だったのだ。何かが足に当たる感触がした。足元を見ると、まだ形の整っている綺麗な餃子が、白昼堂々道のど真ん中に転がっている。世の中にはまだまだ私の知らない嫌がらせがあるものだと思った。

 

 嫌がらせ?うん嫌がらせだよね?この上なく悪質だと思うよ?5体満足のふわふわな餃子が、皿の上ではなく道端に落ちていることに、怒りを感じずして一体どうしろというのだ。きれいな状態の食べ物を他人に蹴らせるというのは、絵面だけ見ればまるで犬の糞か何かと同じじゃないか。謂れのない罪悪感を植え付けるその度胸は大したものである。ぜひ宇都宮にでも行ってやってみてほしい。

 

 同時に、どうしてこんなものが落ちているかと考えてしまう。多分深い意味はないのだろう。きっと食べ歩きしていたら落としたとか、その程度のことのはずだ。しかし、きれいな形の餃子が落ちているのはどう考えても普通のことだとは思わないし、思ってもいけない。私たちは道端に食べ物が落ちていることを不審に思うべきなのだ。

 

 場違いな場所で、場違いなものに出会う。それは間違いなく運命を感じる瞬間だ。思いがけない何かに出会う。そうすると何か意味があるのではと考える。脳内でシャンゼリゼが再生される。これがあるから生きていける。

 

 しかし、それが食べ物になることだけは絶対にやめてほしいと思う。「食材の権利条約」を作ってみんなで守ろう!